書かれたものを集める(Collected Writings / A Book)

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私たちは誰の美術史について語るのか?

ミヒナ・ミルカン



 ふたつの例について考えてみよう。

 アグネス・ディーンズ(Agnes Denes)による《Tree Mountain》(1992〜1996)では、フィンランドのウロヤルヴィにある丘に、1万1000人の人々が1本ずつ木を植えた。すべての参加者には400年間有効の証明書が与えられた。自分が植えた木を子息に相続させてもいいし、その横で誰かを祝ったり弔ったり、死後その下に自分の体を埋めたり、そしてもちろんそれを売ってもいい。この森自体はそのまま残されていくが、社会の記憶圏や価値概念がさまざまな要素によって書き換えられていくのと同じスピードにおいて、木々の所有形態や使用方法もまた変更され得る。この森は、単に未来を視覚化するだけではなく、ひどく汚染されているかもしれない未来を乗り切ろうとするものでもある。未来の姿を指し示すと同時に、その未来と切り離せない過去として現在の自らを提示するのだ。社会における所有権のありようや個人の扱いがいかに変更されても、この森を構成する一本一本の木の正当性を規定する契約条項によって、本作はその影響を弾き返す。このようにして《Tree Mountain》は、互いに切り離されたふたつの未来を同時に提示する。廃墟へと向かう崩壊に400年間抵抗するという自らの未来。そして、自らを取り巻く周囲、この森という図に対する「地」としての外的世界が直面するだろう未来。こうした二種類の未来の間の距離、それらの文字通りの未来と人類の行き着く先を描写しようと私たちが用いるアレゴリー(寓喩)としての未来との間の距離を、本作は提示する。この作品は、両者を結合させるための解釈による折衝に舞台装置を提供するのだ。

 ふたつ目の例は、ロバート・モリス(Robert Morris)が自らの彫刻作品《Litanies》(1963)を縮小して平面的に再現したものである(《Document》1963)。正面に「Exhibit A」(展示品A)と書かれたこの再現物の横には、「この原型となった作品からあらゆる美学的性質と内実」を抜きさると宣言するステイトメントが付いている。この「美学的性質剥奪のステイトメント」は、作者としての力と管理者としての力を衝突させるものだ。作者としての力を美術史から合法的に引っこ抜き、新たな歴史学的領域、ふたつの力の分離が存在しない場所へと組み入れる。ここで為されている遵法的な反転には、モダン・アートの基礎にある所作のひとつが反響している。便器を「泉」と称したあの行為だ。《Litanies》が《大ガラス》についてのマルセル・デュシャンの言葉を再利用しているのは、おそらく偶然ではないだろう。事前に説明と前置きを与えられた《大ガラス》は、デュシャン本人によるそれについてのコメントの中に埋没し、さらにはある意味において、そうしたデュシャンのコメントを解釈せんとする言説を事前に先取りしてしまう。モリスによる、アーティストとしての作者性を剥奪するというコンセプチュアルな身振りは、《Litanies》を美術史の外へと位置づける。そのことによって、作品の美術界への「帰化」ならびにそこからの「排除」のメカニズムを見渡す、ひとつの見晴し台を差し出してくれる。

 私は、《Tree Mountain》と《Litanies》を、コンセプチュアルな展開が制度批判と重なりつつ到達したふたつの極点として捉えてみたい。注意すべきなのは、これらの作品が、単にホワイト・キューブというイデオロギーの暴露を狙ったものではないということだ。ここで敵視されている制度側は、美術館などという小さな枠には収まらない。とはいえそれは、美術館と同程度には、自らのカプタ(訳者註:多様な読解が可能な情報のこと)をデータとして提示することに成功している。ディーンズとモリスが議論の俎上に載せるのは、制度批判の重要なボキャブラリーを取り戻すために、美術史、つまり作品を歴史の中で記述する体系あるいは歴史学的な「管理体制」にアーティストが参画すること、そして来るべき未来、つまり美術が美術であることを止めてその記録もまた同時に役割を終える瞬間へと向けた、美術史家たちの筆舌され得ない関心である(アグネス・ディーンズがこの「最後の瞬間」をひたすら一時休止させる、あるいは崇高の兆候を明示することでその到来を困難にする一方、ロバート・モリスはそれをすでに起こったものとして扱う、あるいはそれに永遠の事前性を与える。前者はいつまでも耐えつづけるように、後者はいつまでも明晰な眼識を持ちつづけるように、私たちに要請する)。


 これまでの制度批判の試みは、参加者の側に力を与えることで、制度の側から力を奪うものだった。美術と他の権力システムとの共犯関係を中和するために、参加という概念を持ち出したのだ。制度のメカニズムに対する民主的な対抗の形式化。それが結果として露見させる、あるいはつきとめる何かは、観客に対して、シアトリカルなまでに用意されていた。観客が招待されたのは、そこで提示される象徴的なリソースを手に取るためだった。制度批判は、制度から差し引かれた権力が鑑賞者=参加者に与えられる権力と等しくなること、そしてやがて釣り合うようになることを約束した。もちろんこの権力は、未完の制度、本質を探求する過激なアーティスト、そして批評的鑑賞者が形作る三頭体制の中で、いつでも再分配され得るものだった。この等式は本当に正しいのか、そもそも数学的計算と権力に関係はあるのか。その後の数十年に与えられた課題は、こうした疑問に明確な答えを示すことだった。権力との等値性という仮設的な前提において美術は自らを描出し、詩性(the poetic)と政治性(the political)との間の多様な道筋において両者の一致は確認された。詩性と政治性というふたつのモードは、可能性を管理するにあたっての合法性という点で等しい。ふたつの同義語がもつれあったこの渦の中からさまざまな方策方針が浮かび上がり、政治性と詩性は、そのすべての政治的権力あるいは詩的巧妙さを使って、そこで互いに互いを肉付けし合った。犯した罪と犯された罪はいつまでも整合しつづけることになっていた。 輪郭の見える安定した対話相手として権力を位置づけるあるいは可視化する試みとして、そして目に見えないやりとりを物質化する試みとして、あるいは逆に、権力が持つ可能性——それは変異し、移動し、仮面を被り、衝撃を吸収し、自らを分配することも縮小することもない——についての果てしなく続く研究として、制度批判はその射程を制限されていた。

 制度側は、アーティストによる異議申し立てに対してより寛容な態度を見せた。そのため、制度批判の議論における最初の攻撃——美術の制度と他の権力機構との関係性ならびにミュゼオロジー的な空間と思考が無条件に前提としていることや抑圧していることの告発——によって開かれた鮮やかな世界観は、より柔らかで曖昧なありようへと堕してしまった。それによって、美術は社会を意味ありげに充たすものとされ、社会は美術の制度に持続的に流入するものとされた。制度側は、繰り返される自己破壊のレトリックとして、自らに対する批判を吸収した。予算や物流容量の増大にあわせた病状の悪化、自己定義への病的不安の高まりの中で、制度側は批判を内面化した。骨抜きにされ、非制度となったそれは、半透明の支配体制として、余計な要素を取り除いた明快な表示と重みのないプロセスの場として、自らを差し出した。そこでは、制度はゆるみ、あるいは見分けがつかなくなり、ある種の方策の集合体として作り替えられることになった。これらの方策群を反対側から整合する方策群は、展覧会という手法だけでなくそれを監視するシステムをも批判対象とするのだった。このようにして制度側は、物事が常に流動的であるように仕向け、常に自らが提示するコンテクストの外側にその位置を確保するのだった。やがてこの生半可な自己内闘争は、作品価格や国際展の法外な膨張という自らを否定する要素によって、大きさの面で釣り合わされていった。結果として、美術の世界はその歴史の中から成長した癌に似た何かになっていったのである。

 批評家たちが言及してきたように、そして大好きな長話の中で美術界の人々が繰り返し述べてきたように、新自由主義(ネオ・リベラリズム)を実演するものとして、あるいは少なくとも新自由主義をそのまま転写したイメージを生産するものとして、過去10年の美術を捉えることができる。美術は「大きな数の論理」を導入した。それが提示する美術としての意味を越えたところで、総量が膨張し、不動産や美術館建築が巨大化し、国際展やアートフェアやギャラリーが増え、拡大してきた。美術における経済的なあるいは内容面での危機、美術界の崩壊をくい止めようという試みは、それが間違いなくやってくるという共通認識が行き渡るにつれて、時に創造的な成果をもたらしながら少しずつ進んでいった。結実と崩落、参加の実践と憂いを帯びた沈思があり、アーティストの闘争参加の困難と美術関連イベントの恐るべき増殖とのいびつな同盟関係があった。交戦と自治との間にある問題含みの領域において、本質を探求する過激な思考や作品は網に絡みとられてしまった。それらは、社会活動的スローガンに溶け入って、空虚な身振りや見栄えの良い運動として現れるか、あるいは自らが問い糾そうとしたシステムの側に慈悲深き多くの賛同票を見出し、それと自らの存在とを同一視することで、敗北を認めることになった。過激なるものはシステムに消化・吸収されただけでなく、その拡大に力を与え、合法化を援助しているように見えた。可能な限り大きくなるべく、美術界は枝分かれを繰り返した。自分以外に比較対象がないゆえにこの肥大化は際限なく進み、美術は価値と信頼性の創出という難しい課題に直面することになった。プロジェクト・ベースの作品の蔓延と、それが依拠するあるいはそれが由来したアイデアの増殖との間には、シンプルな対応関係が成立したことはない。したがって、次のような評価が妥当だろう。制度批判の展開において、その理解が深められることはなかった。制度批判における第三の波などなかった。ただ、弱々しい第二のさざ波が起きただけだった。


 もしも制度批判それ自体が制度へと溶解したのであれば、ある種の作品や実践は、自らの批評的で可塑的なポテンシャルを、別の場所、別の声明へと調律するだろう。最初の例に戻れば、アグネス・ディーンズとロバート・モリスは、「どこか別の場所」、つまり制度批判の位相幾何学における主要地点、「システムの外側」を、作品の可視性と歴史的可読性の両方を形成し保証する諸条件・諸調停を狂わせる裂け目に見出したのだと言える。《Tree Mountain》の時間性は、美術史的過去が非物質的現在へと、そしてより良い美術が期待される未来へと進んでいく道筋を簡潔に言い換えながら、制度の許容範囲を容量的にも文脈的にも越えて溢れ出す。ロバート・モリスの「外側」、つまり彼が実行した自己排斥は、「内側」が提供する手段の究極的な利用と、アーティストとしての彼の立場の最大限の活用がもたらす言説作用である。歴史化のプロセスと手続きに対して批評する彼らの作品は、過去と未来の想像をめぐってコンテンポラリー・アートの領域で為されてきた他の方法、そしてそれらが間接的に希求する政治的感応と共振する。歴史を作り記すための新たな流儀、それと対応する新たなコミュニケーションと政治的風景、私たちのポスト・イデオロギー的状況あるいはイデオロギー的不安は、もちろん今日の美術が抱える重要な問題である。とはいえ、いかなる未来が美術から想像され得るのか、いかなる未来を美術は想像できるのか? 美術史の決まりきった枠組みを私たちの現在——切断することができない条件としての過去とも確実な保証としての未来ともまったく関わりのない現在——をめぐる言説へと拡張させるために、どんなことが為され、思考され得るのか? 美術にこれから与えられる未来は、テクノロジーやエコロジーの例とは違って、未来的でも未来学的でもない。それはただ、美術の未来的理解である。作品や実践はその理解の達成点において解釈を展開し、それを書き替え、構築し、その解釈がどのような形態をとり得るのか、さまざまな解釈形態が共同することで何を活性化できるのかを問う。したがってそれは、未来のメタファー(隠喩)というよりはメトニミー(換喩)であり、作品が具現化する——作品が描写するのではなく作品が「作る」——過去と、未来において美術作品がいかにあるいはどんな意味を持ち得るのかという問題とを結ぶ蝶番なのである。

 このテキストは、美術史的記述の概念的手段あるいは理論的基準を通じて、展覧会や美術史という制度がいかに批評的な連動を展開できるのかを考察しつつ、「ショー」を構成する装置一式とそれが発現するさまざまな機能——生産から収集まで——を絡めとる問いを投げ掛けようとするものだ。既成概念に縛られた精神や画廊空間の限界を告発する作品と、内的に充足した専門領域から美術史家たちを飛び出させようとする作品は、実りある結びつきを形成することができるだろうか? 展覧会は何に依って歴史的必然性を獲得するのか? 歴史的な欲望対象を発掘し記録することを狙った実践は数多い。モダニズムを主要な調査範囲として捉えることに内包されるさまざまな矛盾点を抱えた、歴史編纂への慢性的な衝動は、今日の美術を特徴付ける決定的な要素であることはほぼ間違いない。このような美術が描き出す過去は、絶え間なく自己主張する大きな物語たちを背景にした、歴史学的時間性の突発的方向転換や浮沈の連鎖として読める。コンテンポラリー・アートが編纂する(あるいは「キュレートする」?)記憶と物体の巨大なアーカイヴの外側に、まったく別の道理に基づいて既存の時系列を引っ張ったり捻ったりする多くの実践が存在する。それらが生き生きとしているのは、そこに解釈への誘いがあるからだ。作品の中にその基礎として刻み込まれ、(未来の)歴史学的な仕事へと託された、解釈をめぐる長く啓示的なやりとりへの招待。未来から見たときに、不断の系譜として見えてくるような何か。


 このような作品は、これまで繰り返し指摘されてきた制度批判のパラドックスを、私たちが置かれた歴史的境遇の曖昧さを踏まえた上での責任の実践によって置き換える。それは「いまこの時」の中にある。現在性の時間を精査へと、そしてその精査の中から立ち上がる未来へと開いていく。それが提示する美術史は、可能性と影響と反応が相互に絡み合う未完のネットワークである。と同時に、それが展開する戦略によって起動される——開始されるあるいは呼び覚まされる——ひとつの言説空間でもある。近いあるいは遠い歴史学的な問題探求の見取り図と噛み合うように構想され、歴史的な存在として定義された物体、つまり作品の内側において、歴史は生成される。そのとき、そうした物体たちのコンセプチュアルな突出や拡張、解釈可能性への解放と、歴史学的な探求方針との間に、潜在的な相互関係が作り出される。展覧会もまた、しばしば、既存の時系列に暢気に乗っかっているあるいは貼り付いているように見えるが、そこから自由にならなければならない。さて、舞台設定は整った。台北市立美術館における田中功起のインスタレーション——公的な図書館と美術館の展示室とが相互置換されたこの作品の究極的な終着点は、前者が存在を止め、後者が機能を停止した状態である——は、見たところ、この展覧会が美術史に参画すること、つまりは現在の定義、そしてその現在から美術史が生成されるありようの定義に参画することについて、問いを投げ掛けるための場である。

(翻訳:奥村雄樹)


*編集(田中)より

上記のテキスト「Whose art history are we talking about?」 は、台北市立美術館で行われた「Whose Exhibition is this?」(2009年)のカタログのために書かれたテキストです。台北市立美術館とミヒナの承諾をえて、ここに日本語訳を掲載します。たたし、2010年7月現在まだカタログはできていません。オリジナルの英語テキストはカタログができ次第、別のページに転載する予定です。(7/4/2010)


Mihnea Mircan (b. 1976) is a curator based in Bucharest, Romania. His latest project is the exhibition 'History of art, The' at the David Roberts Art Foundation, London. In November 2010 he will curate the exhibition 'Hans van Houwelingen. Until it stops resembling itself', at Stroom, The Hague.