書かれたものを集める(Collected Writings / A Book)

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6/15/10 

「第54回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館展示の提案

蔵屋美香



イ.展覧会の基本構想(コンセプト・特色)


80年代中盤以降、美術において、フィギュラティヴなもの――具象的な形象や物語的な主題――が大きな流れを成してきました。しかし近年、とりわけ70年代生まれの作家たちのあいだに、異なる傾向があらわれています。そっけなく投げ出されてある事物に寄りそう、ともいうべきこの傾向は、表現媒体はさまざまながら、日本のみならず、世界的に見出されるものです。

この傾向の根底には、1970年前後の美術動向に通ずる思考があるように思えます。たとえば、第34回ヴェネチア・ビエンナーレ(1968年)日本館にも出品した高松次郎(1936‐1998)は、次のように述べています。


「われわれを惹きつけ、駆り立て、生命的な強い緊張で充たしてくれたのは、決して完結した事物そのものなのではなく、つねに非決定性や未解決性にこそあるのではないかという推論を引き出した」。(1)


当時、事物が、「実在」と、人間が付与する「意味」(あるいは「情報」「言葉」「像」など)とに分裂する中で、いかに「実在」へと至りつくか、という問題が、若い作家たちに意識されていました。その中で高松は、ある事物が持つ可能性は果てしなく、それは「意味」によって捕まえても捕まえても逃れ続けるもので、決して十全な「実在」にたどりつくことはない、と考えました。そして、むしろ永遠に続く(ということは「実在」はほとんど「不在」に等しいものとなるわけですが)、「非決定」かつ「未解決」な状況自体を、強い魅惑に満ちた表現のフィールドと捉えたのです。

対して、たとえば田中功起(1975‐ )は次のように述べます。


「ひとつの『水』に対して、それを飲むときと、それを見るときと、それを使って身体を洗うときと、いくつかの違う出会い方がありますね。主体が変わらずともすでにそれ自体でも多様であり、『これが水である』ということがない。『無数にありえたかもしれない世界の可能性』っていうのは、これです。世界はとにかく豊かなものであると。その豊かさに身をゆだねるだけでもなにか新鮮な経験というものはできるんじゃないかと思うのです。ぼくはその多様な現れをできるかぎりシンプルな方法によって見つけ出したいと思っています」。(2)


田中は、バケツや脚立、オレンジやせっけんといった事物に対し、通常の使用からは微妙にずれた働きかけを行うことで、事物が持つ「無数にありえたかもしれない可能性」にアプローチする、という一連の映像作品を制作しています。つまり二つの世代は、人はいかに自らを取り巻く事物に対すべきか、あるいは、事物に身を寄せることで、人はいかに世界と出会う方法を拡張できるか、という課題に共に直面し、相通じる思考を持つにいたったと考えられるのです。

60‐70年代当時は、大量生産・大量消費、大量の情報の流通といった新しい事態の到来が、事物の「実在」を求める危機意識の基盤を成しました。しかし今日では、こうした事態はあまりにも当たり前となり、事物が意味や情報を超えて「実在」を持つ、と仮定することも難しく思われます。その意味で、田中の扱う事物は、よりいっそう「非決定」的かつ「未解決」であり、部分的なあらわれを積算することでいつかその全体性に達する目論見を持つ、というよりも、横滑りをしながらいつまでも連鎖し続けるもののように感じられます。田中が、事物の変容の連なりを動態で示すことのできる映像というメディアを選択するのも、あるいはこのような事情によるのかも知れません。

二つの世代には、切実な課題に対する共通する意識と、そして、状況の変化がもたらす方法論の相違を見出すことができます。「もの派」が登場し、「概念芸術」が問われ、また絵画や彫刻といったジャンルが溶解して、行為や過程へと美術の主眼が移行した60‐70年代は、今日の日本の美術状況の出発点として、世界的レベルで何度でも検証すべき重要なピリオドです。

近代美術館に勤務するキュレーターの責務として、今日の日本の作家を、日本の、そして世界の長期的な美術の流れに接続し、そこからその共通性と独自性とを改めて見つめる、という視点を、ヴェネチアという大きな場所で示したいと考えます。


―――

(1)高松次郎「あなたへの通牒」(李禹煥「認識から知覚へ―高松次郎論―」『出会いを求めて』1980年、田畑書店、p.89より引用)

(2)インタビュアー:三木あき子「無数にありえたかもしれない世界の可能性」『KOKI TANAKA: Works1997‐2007』2007年、Akiko Nagasawa Publishing、p.50)



ロ.出品作家


田中功起(たなか・こおき)


略歴

1975 栃木県生まれ

2000 東京造形大学造形学部美術科絵画専攻卒業

2000‐2003 武蔵野美術大学出版編集室(現出版局)に勤務、機関誌『武蔵野美術』他の編集を担当
2004 アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成によりニューヨークに滞在、「ロケーション・ワン」に参加
2005 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了
2005‐2006 ポーラ美術振興財団の助成およびフランス政府給費留学生としてパリに滞在、「パヴィリオン」(パレ・ド・トーキョー)に参加
2009‐ 文化庁新進芸術家海外留学制度にてロサンゼルスに滞在、現在に至る

主な個展

「特別展示 田中功起:買物袋、ビール、 鳩にキャビアほか」(群馬県立近代美術館、2004年)

「Everything is Everything」(ミュージアム・スタジオ、広島市現代美術館、2007年)
「立てることと倒すこと」(モジュール、パレ・ド・トーキョー、パリ、2007年)

「第1回田中功起ショー『いままでのこと、さいきんのこと、これからのこと』」(上野の森美術館ギャラリー、2007年)

「たとえばここ最近の作品をすこし違ったかたちでみせること」(群馬県立近代美術館、2008‐2009年)

「Random Hours, Several Locations」(YYZ Artist’s Outlet、トロント、2010年)


主なグループ展

「セゾンアートプログラム・アートイング東京2001 生きられた空間・時間・身体」(旧新宿区立牛込原町小学校、2001年)

「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」(森美術館、2004年)

「Pawel Althamer: In the Centre Pompidou」(Espace315、ポンピドー・センター、パリ、2006年)

「国立新美術館開館記念展 20世紀美術探検 アーティストたちの三つの冒険物語」(国立新美術館、2007年)

「ボルタンスキープレゼンツ La Chaine ―日仏現代美術交流展」(BankArt Studio NYK、2007年)

「Spectacle and Situation」(パウル・クレー・センター、ベルン、2007年)

「日本の新進作家vol.6 スティル/アライヴ」(東京都写真美術館、2007-08年)

「夏への扉 マイクロポップの時代」(水戸芸術館、2008年)

「笑い展:現代アートにみるおかしみの事情」(森美術館、2008年)

「Whose exhibition is this?」(台北市立美術館、台北、2009年)


主なビエンナーレ、トリエンナーレ等参加

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2003年、2006年)
「2006台北ビエンナーレ:Dirty Yoga」(2006年)

「第7回光州ビエンナーレ」(2008年)

「釜山ビエンナーレ2008:Sea Art Festival, Voyage Without Boundaries」(2008年)


主なスクリーニング

「Premieres」(ニューヨーク近代美術館、2005年)
「Marking Time」(ゲッティ・センター、ロサンゼルス、2005年)
「Out of the Ordinary: New Video from Japan」(ロサンゼルス現代美術館、2007年)


主な出版物

『特別展示 田中功起:買物袋、ビール、 鳩にキャビアほか』(群馬県立近代美術館編、2004年)

『Koki Tanaka: Works 1997‐2007』(Akio Nagasawa Publishing、2007年)

『The End of Summer: Koki Tanaka』(大和プレス・赤々舎、2008年)



ハ.出品作家の選定理由(その作家のどこを評価し、どのような打ち出し方を想定するか)


活動を開始した1997年前後、田中功起は、一つの運動が無限にループする、という、形式性の強い映像作品で注目されました。その後、ある行為が結末を迎えて閉じることなく連鎖し続ける、という方向へと転換します。この変化の根底には、先に述べた、事物の可能性は人間の思惑を越えて無限にあり、事物に寄りそってそこにアプローチし続けることで、世界はその都度新しい経験となって立ちあらわれる、という考え方があります。

この事物への志向は、ふつう映像作家と考えられる田中の作品に、常に夾雑物のように混ざりこんでいます。たとえば、映像内で使用された日用品は、しばしば映像が流される同じ場所に置かれてきました。また、彫刻台やガラスケースといった美術館の備品で広い展示室を埋め尽くし、高低差をともなう身体運動のさなかで映像に出会う空間を作った2004年の個展「特別展示 田中功起:買物袋、ビール、 鳩にキャビアほか」(群馬県立近代美術館)以来、映像という実体のないものを、いかに現実の空間の経験に関係付けるか、という問題は、規模の大きな、ほとんど建物を覆うような造作物を用いて、現在も問い続けられています。

 今回の日本館の展示は、これまで田中が行ってきた、事物へのアプローチという方法論、そして大規模な造作物による空間構成という手法の、いずれをも集大成するものとして構想されます。素材はトイレットペーパーです。

トイレットペーパーは、世界中どこでも入手可能であり、かつ、密度を持つ立体、長大な平面とさまざまなあらわれを持ち、さらに空気や水や火に敏感に反応する性質を有しています。田中はこれまで、扇風機を使って空中にトイレットペーパーを舞わせる《Fly Me to the Moon》(2001年)から、旗のようにトイレットペーパーを掲げる《A Toilet Paper Flag》(2010年)まで、約10年にわたり、トイレットペーパーを素材として取り上げてきました。今回はこの素材に対し、約1,000のアプローチを行う映像が新しく制作されます。

さらにこれらの映像は、仮設の壁や床によって大小、高低、さまざまに区切られた日本館の空間のあちこちに、ゆるやかなグルーピングに従って設置されます。ビエンナーレ会場で入手可能な廃材も、一部再利用の予定です。日本館は、折れ曲がるアプローチや階下のピロティ・スペース、正方形の展示室など、独特な空間を持っています。平面作品の展示にはやや難しいこの空間を、仮設造作物と映像作品というフォーマットによって、十全に活かすことが可能です。観客は、脚にかすかな抵抗を覚えながら斜面を上り下りしたり、となりのスペースから漏れ聞こえる音に導かれたりしながら、空間から空間へとさまよい、観る人それぞれの順序であちこちに置かれた映像に出会います。田中が示す、無限に連鎖し続けるトイレットペーパーの可能性を、あたかも自分だけの映像を編集するような観客個々の身体的な行為が、さらに複雑に連鎖させ、拡張していくのです。

田中の作品では、事物への働きかけが行われる、その過程の全体が、映像の流れの中で事物を変容させる、つまり時間によって形態を彫琢するという意味で、一種の「彫刻」として成立しているともいえます。特に今回は、トイレットペーパーへの働きかけ、それにより作られる映像、造作物の生む空間、そこを歩きつつ映像に出会う観客個々の身体的行為、これらのすべてを、広い意味で、時間や形態、空間を彫琢する「彫刻」として捉えることが可能でしょう。

 今回の展示では、トイレットペーパーという小さな事物が、日本館を覆い、さらに観客の行為によって日々拡張され、それでもなお完結することのない広がりを秘めていることが示されます。このようにして、日本館全体が、事物の向こう側に連なる「無数の可能性」を垣間見させる、そのための足場として成立することを願っています。