書かれたものを集める(Collected Writings / A Book)

p04 -04

5/5/10 蔵屋さんから連絡があったあとすぐに考えたことのメモ 田中功起



5/7/10 アイデア・メモ


1)船をチャーターする。日本からベニスに行く。距離をフォームにする。船の上で船を造る。距離+時間が彫刻として形になる。プロセスをドキュメンタリーフィルムにする。


2)日本館という場所をプラットフォームとして機能させる?ベニスビエンナーレ全体に参加しているアーティストの数よりも多い人数が関わる?日本をある複雑さのなかで紹介する?


3)たくさんのひとが関わるシンポジウム、トークを連日開催。記録をフリーペーパーにする(トーキョーソースとか、CAMPとか、AITとか、美術犬とかも巻き込む)。そのプロセスをドキュメンタリーフィルムとする(ポッドキャスト「言葉にする」の発展系)。複数のテーマ、日本のアートについて、日本館での展示の変遷について、アニメについて、建築について、事業仕分けについてとかとか。会場がひとつの雑誌として機能する、雑誌の空間化。


4)日本列島の周囲を船で回る。船の中で合宿。途中の港で広いながら増えていく。


5)個展ならばワンライナーか。


6)市井の職人シリーズ。だれかの何気ない行為の洗練を記録する。あるいはパフォーマンスとして捉え直す。段ボール収納職人、ティッシュ配り職人、船大工、塗装職人、ねじ、豆腐屋さん、染色などなど(「each and every」「beer factory」「テーブル並べるウェイター」などのいままでのビデオの発展)。あるいは、彼らになにかしらの新しい課題を与え、それの製作過程を記録する。段ボールで日本館を包む場合は?、とか、ベニスの水で染色するとか、ベニスでテッシュ配りとか。


7)展覧会を構成するひとびともドキュメントする。展覧会のできあがる過程もひとつの作品とする。施工の過程(大工さん、建築家にも関わってもらう?)、本の製作の過程(編集、デザイン、翻訳)、サイトの製作過程なども(例:村上さんの都現美のカタログ)。


7)ふたつの領域を出会わせる。豆腐屋と建築家。段ボール職人とダンサー。塗装とwebデザイナーとか。


8)船の上で船を造る。


9)会場の内と外を混ぜ合わせる。


10)会場の雰囲気は写美の展示+ビタミン+YYZあたり?


11)バルーンを使ったなにか。


12)床をどうする?ひとが歩く度にはがれていく素材。粗雑になる。壊れていく。


13)独自のサイト立ち上げる。ustream+ツイッター+ニコ動なども連動?。サイトのアドレスが外壁にネオンで付くとか。




5/10/10 アイデア・メモ


  1. 構造の見える施工

  2. 登ったり降りたりも含めて、縦横無尽に観客が動きまわる。ジャングルジムとか、アスレチックフィールドとか。

  3. 展示会場の大きさを間違えてしまったようなサイズ

  4. 場所を道でつなぐ


  5. いくつかの区分 出来事 職人 アーカイブ

  6. たとえば全体をいくつかのパートに分ける、「出来事、職人、アーカイブ」とか。この分け方に高松の考え(?)を援用するとか。「関係、展開、無限」とか??いや、手もとに高松資料がないのでよく分かってませんが、もしなにかそういうものがあれば。。。つまり全体の構成の部分に高松(あるいは70年代的なターム?)を援用し、そのなかにぼくの作品(のアイデア)を配置させる、とか。

  7. 仮にいまの時点でのアイデアを適応すれば、「出来事」は現地制作(施工+現地でスポンテニアスなビデオとか)、「職人」はこの前話したの職人シリーズ、「アーカイブ」の部分に70年代のもの(たとえばこれ、鉛筆で写真を書き起こしたものを展示とか?)。


  8. 過去のビエンナーレ作の 一点ずつのリプロダクション


  9. トークは、言葉によってアイデアを構築してしく。つまり建築

  10. プロセスは、変化を伴って刻まれていく。つまり彫刻。

  11. イベントは、一回かぎりの出来事、映画。

  12. アーカイブは、 パフォーマンス?


  1. コンセプチュアルとミニマルの間

  2. 言葉ともののずれ 無意味なもの ずれつづける

  3. 使い方 機能的でない、しかし本来そのものがもつ使い方 普通の使い方

  4. ものに寄り添うことで、機能の外へ


  5. 廃材の空間構成=小さな箱に区切ること=空間に仮設の概念が広がる/区切る/散乱する/temporary structure

  6. 仮構される


  7. 丸太の上を歩き、向こう岸に行く

  8. ひとつのものの100 or 1000の現れ

  9. ビルボードを持ち歩く


  10. 芸術か芸術じゃないか、ではなく、経験とか認識へのアプローチ