どこからどこまでが何なのか ----- 関係性の系譜から見る田中功起

片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター)



 田中功起の実践は、表面的には遊び心と不条理に溢れた日常の再発見のように見えるが、周囲のあらゆる諸現象に向けられた丹念な考察は、実際は日常の裂け目から新たな価値や世界の真理を見出そうとする試みである。それはまた、固定的で恒久的な形体や芸術生産に伴う職人的技術などから解放された、ポスト・オジェクト的な彫刻、あるいは多様な断片の一時的な繋がりや関係性を提示する実践ともいえる。本稿では、田中の世界観を、物や素材、あるいは人との関係性の系譜から考察してみたい。


 1990年代後半以降の現代美術の実践において、「関係性の美学」は世界中を席巻した最も代表的な現代美術用語だと言っても良いだろう。その概念は、ニコラ・ブリオーのどちらかと言えば茫漠とした定義ゆえに極めて幅広く解釈されたが、それが逆に世界を虜にした所以かもしれない。芸術作品の評価を、そこで表現され、創出され、影響される人間相互の関係性に依拠する美学的理論であると説明した「関係性の美学」は、実際に観客が物理的に関与することで成立するものや、エンヴァイロメンタルなインスタレーションにも通じる空間的関与を前提とするもの、あるいはローカルなコミュニティを対象にしたリサーチ・ベースの作品やワークショプなどの、いわゆる「参加型アート(participatory art)」や「社会に関与した芸術(socially engaged art)」などとも同義に論じられている。


 観客が空間的あるいは身体的な関与を求められる体験としては、例えば1920年にベルリンで開催された「第一回国際ダダ・フェア」でもすでに、天井から壁面全体を埋め尽くす展示が見られる。また、1950〜60年代のニュ—ヨークにおけるジャクソン・ポロックのアクション・ペインティング、アラン・カプローやクレス・オルデンバーグなどが展開したハプニングやエンヴァイロメントなどからも、その先例を容易に探ることができる。日本の草間彌生のニューヨーク時代の仕事もまさにエンヴァイロメンタルなものだ。あるいは「状況を構築する」ことを目指した1950年代のシチュオニスト・インターナショナルや、ヨゼフ・ボイスなどとの関連もすでに何度か論じられている。

 一方、この「関係性」という言葉を、美術の枠組みから距離を置いた異なる視点、具体的には仏教の中心的思想のひとつ「縁起」の概念から考察すると、さらに宇宙論的な解釈が可能になる。あらゆるものは、それ単体で在るのではなく、天地万物のすべてが相互に関連し合いながら、その因果関係、関係性の結果として存在しているとするこの考え方は、現代アートの解釈においてもじつに飛躍的な可能性を開示してくれる。それは「空」の概念にも関連しており、「諸行無常」と言われるとおり、あらゆる関係性は一時的なものであり、固定的な存在ではない。常に流動的、可変的な価値観のなかでは、その一時的な接触や出会いの連続が存在を形づくる。自身の存在は「空」あるいは「無」であり、周囲との関係性によってのみ存在するのである。言うまでもなく、仏教はインドに始まり、インド亜大陸から主に東南アジアへは小乗仏教として広がり、東アジアへは大乗仏教として広く伝播されたが、土着の自然崇拝、霊魂崇拝、先祖信仰、あるいは神道、儒教などとも融合したシンクレティズムが各地で見られ、多神教、汎神論のなかで人々の生活のなかに浸透してきたものだ。多様な形を得て同時に複数の地点に顕現できる不可視の存在は、宇宙的スケール感における天地万物の繋がりや関係性を考えるうえで、じつに示唆的なものだ。それはまた、日本の哲学者、和辻哲郎が『風土——人間学的考察』(1935)で指摘しているような、「湿潤」を特徴としたアジア的な気候風土のなかで培われる人間の受容的性格との関連も考慮できる。


 実際、「関係性の美学」の代表的なアーティストのひとりに、タイのリクリット・ティラバニージャがいるが、食や住といった日常を構成する基本要素が彼の実践の中心に置かれていることは、そこで提示される価値が非日常的で高次な存在としての芸術ではなく、人や物、空間相互の現象的な関係性を生み出す状況や装置にあることも示唆している。「関係性の美学」ついて喚起的な発言を多くしているクレア・ビショップは、タイをリレーショナル・アートの「スピリチュアル・ホーム」と言っているが、タイだけでなく、日本を含めたアジア地域では少なくとも1990年代、「関係性の美学」が理論化される以前に物や人間相互の関係性に着目した芸術的実践がすでに顕在化していた。この、アジア的な文脈での“関係性”は再検証されるべきであると考えているが、これはまた別の機会を待たざるを得ない。


 もの、人間、空間相互の関係性については、1960年代末の日本で見られた「もの派」と、同時期にイタリアを中心に見られた「アルテ・ポーヴェラ」との比較も興味深い。「もの派」の理論化に貢献した李禹煥は、その名前からしばしば素材そのものを重視した表現と捉えられがちなこの傾向について、「むしろ従来の文脈ではない異質なものを生々しくぶつけ合い、空間と“もの”、人間と“もの”との関係をもう一度見つめ直そうとする、可能な限りのタブラ・ラーサを求める態度であった」といっている。それは、戦後の高度経済成長期のなか、国連加盟、東京オリンピック、大阪万博など知的な構築が不可能なほど急速に社会が変化するなか、学生たちが自己崩壊を始めた全共闘時代とも重なりあう。当時は「従来あったものを一旦壊すしかないという空気が蔓延し」、唐十郎の紅テントによる〈状況劇場〉、寺山修司の〈天井桟敷〉、あるいは警察や通行人も巻き込んだ路上劇など「自分たちが関知していない外部との関係のなかで成立させる演劇」などが盛んに行われていたと李は回想する。そして、「もの派」では、鉄、石、綿など工業製品から自然素材まで多様な「もの」がそのまま空間に配置され、「その意味を問うのではなく、もう一度、それらの関連性に注目」した。その異物同士のぶつかり合いのなかで生まれる「出会い」、その不可視のエネルギーが「もの派」の本質であって、「もの」そのものではないと説明する。アルテ・ポーヴェラがもの派とほぼ同時期に登場したことは、1968年という時代を考慮に入れれば不思議なことではないが、今ほど情報産業が発達していなかった時代に、世界でパラレルに類似した実践が展開されたことは興味深い。李禹煥には、綿を鉄板で囲んだ《構造A》(1970)という作品があるが、これはヤニス・クネリスが同様に綿と鉄板で作った《無題》(1967)と視覚的に酷似している。李は、綿と鉄板の関係から、軽いものと重いもの、柔らかいものと固いものの関係性を逆転し、あたかも綿の力が鉄板を押開いて外部にはみ出さんばかりの様子を示した。それは「もの派」直前に広まっていた視覚的なトリックを題材にした作品群に通じるものでもあるという。一方のクネリスの作品は、絵画に付随する技術を拒絶し、有機物や自然物、オウムなどの生きものを作品素材として採用することで現実を模倣する提案であり、「生きた絵画」としてダダ以来のレディメイドの文脈からの逸脱も目指すものだったという。美術の枠組みのなかでコンセプトを重視するクネリスの姿勢に対して、もの派は物質相互の関係性を逆転させる試みだったと李は説明する。


 田中功起は、物質相互の関係性やそれらの一時的な繋がりを視覚化するために、映像や写真を中心的なメディアとして採用してきた。そこでは田中自身が周囲の環境に不条理な介入を試み、そのアクションによって水の波紋のように変化する関係性やプロセスが一時的に視覚化される。その一連のアクションを《Simple Gesture and Temporary Sculpture》(2008)(註1)と題した映像作品もある。ちょうど1960年代の路上劇のように、どこからが日常でどこからが非日常やアートであるのか、どこからどこまでが何なのかが曖昧で、すべての状況が連綿と繋がっている。無意識に過ぎて行く日常の風景や時間に、意識を介在させる行為ともいえるだろう。

 田中の映像作品は、しばしば見る者に空間的な体験を提供するインスタレーションのなかに組み込まれ、異なる時間と空間のレイヤーが重なりあう。そこで空間を構成する素材の多くは、プラスティックや紙、ゴムなどの安価な日用品や素材だ。李禹煥は石、鉄板、綿などを何も手を加えずそのまま空間に配置し、そこで対峙させられるもの同士の出会いやエネルギーに注目したが、安価な日用雑貨をそのまま使った田中のインスタレーションは、素材的な観点からだけ言えば大量生産時代以降のアルテ・ポーヴェラとも言えるだろう。無意識に生活の一部を担っている“もの”たちは、気づかないうちに田中のアートの文脈に採用され、一時的な彫刻、エンヴァイロメンタルなインスタレーションとなる。これは、通常の流通や経済システムから逸脱した、オルタナティブな価値システムの提示でもある。そして、この新しい価値システムの提示には、彼がしばらく続けているポッドキャストやトークシリーズなどを通した価値の言語化も少なからぬ貢献をしているといえるだろう(註2)。

 さらに田中の近年の実践では、多様な価値が共存することの困難さが浮き彫りにされている。《a haircut by 9 hairdressers at once (second attempt)》(2010)(註3)、《A Piano Played by Five Pianists at Once (First Attempt)》(2012)(註4)などはその好例だ。アーティストに操られる“もの”と異なり、それぞれ意志を持った人間の価値観が拮抗しあう状況のなかで、各人は一時的な合意点を模索し、それが次の結果のための起点となる。その連続によってかろうじて保たれる合意点は、まさに異なる価値が共存せざるを得ないアンビギュアスな現代社会を象徴するマイクロ・ソサイエティのモデルのようにも見える。

 連続性や繰り返し、関連性という視座のなかで、どこからどこまでが何なのかを探求しつつ、既存の境界を曖昧にする。複雑に絡み合う天地万物の関連性を、田中は日々少しずつ紐解こうとしているということなのかもしれない。


註:

*1: 以下のリンクから作品を見ることができる→ http://www.youtube.com/user/kktnk1975

*2: webアート・マガジン「ART iT」での連載、e-mail往復書簡「質問する」(http://www.art-it.asia/)や田中の日本語websiteでのポッドキャストプログラム「言葉にする」(http://kktnk.com/alter/)。ともにリンク先は日本語のみ。

*3, 4: 以下のリンクから作品を見ることができる→ http://vimeo.com/kktnk



*初出:”Human Factor” 2012, Museo Pietro Canonica in Villa Borghese, Rome のカタログために書かれたテキスト。

http://www.qwatz.it/the-human-factor/

書かれたものを集める(Collected Writings / A Book)

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